日本にも、世界にも。
情熱をぶつけ合える仲間がいる。
日本にも、世界にも。
情熱をぶつけ合える仲間がいる。
2007年入社
HISAAKI NARUSE
(株)本田技術研究所 オートモービルセンター 研究員
工学研究科 社会基盤工学専攻 修了
※所属・資格は取材当時
2007年入社。幼少期より図工や美術に興味を持ち、クラフトや絵画などモノづくりを行っていた。大学時代は工学部に所属し、橋をテーマに研究。就職活動では商社や銀行、メーカーなど様々な業界に足を運び、最終的にHondaを志望した。入社後はミラーやトランクなどのエクステリア設計に携わり、2016年に“海外トレーニー制度”を活用してアメリカへ。現地の仲間と6ヵ月を共にした。
就職活動では様々な業界を訪問。商社や銀行、証券会社といった人気企業にも足を運んだのですが、なにかがずっと引っかかっている気がしていました。いま思えば、入社理由をつくっている自分に違和感を感じていたのかもしれません。もっと自分らしくいられる仕事はないか、ありのままを受け入れてくれる会社はないか。そんなふうに感じていたとき、Hondaに出会いました。当時は名前を知っているくらいの存在でしたが、エントリーシートを書くときも、面接での会話もすべてが自然体でいられた。そこには着飾る必要も、建前を語る必要もありませんでした。小さな頃から図工や美術が得意だったこと、これからもずっとモノづくりを楽しんでいきたいことを語るだけで想いが伝わり、あまり社交的ではない自分の口から、言葉がどんどん出てきたことには自分自身も驚きました。もう、迷う理由なんてない。内定をもらったときには、Hondaへの入社を決めていました。
入社後は工場実習を経て、本田技術研究所 オートモービルセンター栃木に配属。ワイパーやガラスなどの視界・外装部品の設計を担当することになりました。正直、最初は「地味だな」と思ったのですが、すぐにそれは大きな誤解であることに気づきました。ミラーひとつで車の顔つきはガラリと変わり、エクステリアの設計はボディ、電装、ライト、インテリアとも連携する必要があるため幅広い技術、知識が求められます。知れば知るほど、学ぶべきことが増えていく。気づくと、その奥深さの虜となっていました。自分が開発に携わった車を街で見かけると胸を張りたくなりますし、幾日にもわたるデザイナーとの議論を経て、生まれた外装部品にはどうしても愛着を持ってしまいます。90点よりも100点。100点よりも120点。モノづくりへのこだわり、情熱を持つ仲間たちと議論を重ね、意見をぶつけ合うなかで、ひとつ上の“いいモノ”を生みだしていく。それが日常の光景であることが純粋に嬉しいですし、世界に通用するような製品を生みだせた瞬間には「よし!」と心のなかで小さくガッツポーズをしています。
「北米と日本では、自動車に求められる機能が違う」。これまでそんな話をいたるところで耳にすることはあっても、自分の目で確かめるチャンスはありませんでした。海外を肌で知りたい。モノづくりに活かしたい。そんな想いが募り、“海外トレーニー制度”に応募。2016年にアメリカ オハイオ州の研究所に渡り、エクステリアの設計に挑戦することになりました。6ヵ月間、言語も考え方も違う異国の地で、北米市場向け新機種の後部荷室扉を担当。現地の若手スタッフの指導にも取り組みました。日本人は実年齢よりも若く見えるのか、当初はすこし軽くあしらわれるように感じたこともあります。しかし、日本で培った技術力や経験をもとに真正面からぶつかり合っていくうち、だんだんと相談に来るスタッフが増えていきました。帰国してからもその交流は続いており、今でもアメリカの技術者から相談のメールが舞い込んでくることがあります。モノづくりへの情熱を共有し合い、世界中にいいモノをつくろうともがく仲間がいる。そんなHondaが私は誇らしいですし、アメリカで築いた関係性は、これからの自分の強みになっていくと思っています。
入社してから9年。かつては新人だった私も、今ではメンバーを教育する立場になりました。今後もエクステリアの設計に携わり、アメリカだけでなく世界中で自分の技術力を試してみたい。そしていつかは、PL(プロジェクト・リーダー)、そしてLPL(ラージ・プロジェクト・リーダー:開発責任者)として1台まるごと開発するような仕事をしたいと考えています。Hondaならありのままでいられる。やりたいことがやれる。その期待は間違いなく叶えられていますし、まるで趣味に興じているように仕事に没頭できる環境はHondaならではのもの。言ったもん勝ち、やったもん勝ち。そんな言葉が似合うHondaには、自分のなかにやりたいことがある人、実現したいアイデアがある人にとっては最高の舞台が整っています。もちろんそれは仕事だけでなく、キャリアにおいても同じです。トランクの設計をやりたいと言えばチャンスが与えられ、世界に飛び出したいと言えば、アメリカに行くことができました。Hondaが皆さんにとっても、やりたいことをやれる居場所であったなら、こんなに嬉しいことはありません。これからも私は、“いいモノ”をつくる。ただひたすらその一点を目指して、技術と向き合っていこうと思っています。
Schedule of the day